実家の解体・売却前に思い出を残す|ハウストーリー(HOWSTORY)

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【代表コラム】親が元気なうちに、やっておくべきたった一つのこと。

Leoline 代表コラム

【代表コラム】
親が元気なうちに、
やっておくべき
たった一つのこと。

こんにちは、株式会社Leoline代表の畠山琢です。こちらこちらのコラムで、父の「帰るところがなくなった」という言葉と、更地に立ったときの感覚を書いてきました。今日は、そこから少し時間を巻き戻した話をします。祖母がまだ生きていて、家にも誰かがいた頃。「死んだらね」と祖母が言いはじめた、あの時期の話を。あの一言を聞き流していたら、僕はきっと、いま全部の選択肢を失っていたと思うんです。
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「もう帰れないはずの家に、
帰れた」実例をご紹介

ご家族がどのように思い出を残したのか、
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事例 内観写真1
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祖母が「死んだらね」と言うようになった日

苫小牧の畠山家には、祖母のテルが長く住んでいました。三兄弟の母であり、僕にとっての祖母です。

ある時期から、祖母は会話の中でぽつぽつと「死んだらね」という言葉を挟むようになりました。

「死んだらね、この家もどうなるかわからない」「死んだらね、こんな話、誰もしてくれなくなる」「死んだらね──」

本人は、そんなに深刻ぶって言っているわけじゃありませんでした。むしろ、お茶を飲みながら、漬け物の話の続きみたいに、ふっと出てくる言葉だった。

でも僕は、その一言が出るたびに、心のどこかが反応していたんです。「死んだらね」と言える間は、まだ生きている。でもいつか、その「いつか」は、突然来る。それが、ずっと頭から離れませんでした。

「いつかやろう」の、いつかは来ない

その頃、僕はもうVRで空間を残す仕事に取り組み始めていました。だから祖母の家を撮るということ自体は、技術的にはいつでも可能だったんです。

でも、ずっとぼんやり「いつかやろう」と思っていました。祖母はまだ元気だし、家もまだそこにある。今すぐじゃなくていい、と。

「いつかやろう」と思っていることって、たいてい、いつまでも来ません。来ないまま、その「いつか」のほうが先に終わってしまう。これは仕事を通して、何度も思い知らされてきたことです。

祖母の「死んだらね」は、僕にとってのアラームだったんだと思います。「いつか」じゃなくて「今」やらなきゃいけないという。

覚悟を決めて、機材を持って苫小牧へ向かった

あるとき、僕は決めました。次に苫小牧に行くときは、機材を持っていって、祖母の家を撮る。理屈はあとでつける。とにかく、撮る。

家に着いて、祖母に「家を撮らせてほしい」と話しました。理由は、「あとで思い出すために」みたいな、ぼんやりとした言い方だった気がします。VRという言葉も、たぶん最後まで使いませんでした。お年寄りに専門用語は意味を持たないと思ったから。

祖母は、「あら、そう」と笑っていました。深く理由を聞かれることもなかった。台所も、居間も、玄関も、布団部屋も、廊下も、全部歩いて撮りました。

あのとき祖母は、自分の家が「歩ける記録」として残されるなんて、たぶん想像もしていなかったと思います。でも、それでよかったんです。残すという判断は、撮る側がすればいい。本人にすべてを理解してもらう必要は、なかった。

「ありがとう」と、家に頭を下げた日

撮影が終わったあと、僕は家のキッチンに立って、家に対して頭を下げました。

「ありがとうございました」と、声に出して言いました。何十年もここで生活してきた家族を見守ってくれた家への、感謝でした。

変なことをしている、という自覚はありました。家は人間じゃないし、返事もしません。でも、そうせずにはいられなかったんです。築100年近く、三兄弟を育て、お正月のたびに親戚を迎え入れてきた家。その家が、いつかこの世からなくなるのなら、せめて自分の手で「ありがとう」だけは伝えたかった。

食事のときに「いただきます」「ごちそうさま」を言うのと、同じ感覚でした。当たり前のように受け取ってきた何かに対して、最後に一度ちゃんと頭を下げる、という。

祖母が亡くなって、家が空になって、それでも家は残っていた

その後、祖母は亡くなりました。家は誰も住まない状態になりました。そして、しばらくして、解体することが決まりました。

普通だったら、ここで全部が終わります。家族は喪失と、家の最後を、ほぼ同時に受け止めなければいけない。気持ちの整理がつかないまま、業者と日程を相談し、家財を片付け、更地になっていく。

でも、僕の家族は、少しだけ違う時間を過ごせました。VRの中に、祖母がいた頃の家がそのまま残っていたからです。

父も叔父も叔母も、解体が決まったあとに、何度もVRの中の家に戻りました。祖母はもういないし、家も実物としては消えていく。でも、あの空間にはまだ入れる。台所の景色も、布団部屋の畳の感じも、玄関の段差も、そこにある。

「間に合っていた」ということに、家族みんなが気づきました。

失われるはずだった家が、
もう一度「帰れる場所」になる。
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家族の声 写真1
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親が元気なうちに、やっておくべきたった一つのこと

たくさんのお客様と話していて、強く思うことがあります。

親が亡くなってから、家を片付ける段になって、初めて「ああ、撮っておけばよかった」と気づく人が、本当に多いんです。葬儀が終わって、四十九日が終わって、ふっと我に返ったときに、もう実家の中の空気が思い出せないことに気づく。写真をめくっても、台所の匂いも、廊下の暗さも、戻ってこない。

気づいたときには、もう間に合っていません。「いつか」のほうが、先に来てしまっているからです。

だから僕は、強く言いたいんです。親が元気なうちに、やっておくべきたった一つのことは、あの家を、歩ける形のまま記録しておくことだと。

大掃除も、片付けも、相続の話も、どれも大事です。でも、それらは、家がある限り、あとからでもやれます。でも、家の空気だけは、そこにある間にしか残せません。

「うちはまだ大丈夫」と思っているあなたへ

「親はまだ元気だから」「家もまだしっかりしているから」「もう少し先でいい」──そう思っている人が、ほとんどだと思います。僕も、そうでした。

でも、ひとつだけ覚えておいてほしいんです。あの家が「ある」状態は、永遠じゃありません。親が施設に入る日も、亡くなる日も、家を解体する日も、全部、ある日突然「もう間に合わない」になります。

祖母がぽつりと言った「死んだらね」が、僕にとっての合図でした。あの一言を聞き流していたら、僕は今、家族と一緒に、あの家を歩いて見ることができません。父にも、叔父にも、叔母にも、戻れる場所を残してあげられませんでした。

あなたのご実家には、まだ「ある」うちにしかできないことが、確実にあります。

解体が決まっていなくても、空き家になっていなくても、いま動けることがあります。「まだ大丈夫」と思っている、その今こそが、たぶん一番やれるタイミングです。話を聞くだけでも構いません。「撮っておいたほうがいい気がする」──その感覚のままで、相談してもらって大丈夫です。

株式会社Leoline代表 畠山 琢

畠山 琢(はたけやま たく)
株式会社Leoline 代表取締役
北海道を拠点に、解体前の住宅・歴史的建造物・乗り物などの空間記録を手がける。JR北海道、北海道新幹線、日本航空大学校、札幌市路面電車など、「二度と同じ状態では撮れない」空間の記録実績多数。「資産を守り、育て、生かす」をミッションに掲げる。
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