【代表コラム】
帰るところがなくなる日のこと。
父が言った、「帰るところがなくなった」という一言
苫小牧にあった僕の父の実家は、築100年近い古い家でした。祖母のテルを中心に、長男・健(僕の父)、次女・幸子、三男・孝──三つの家系が、毎年お正月に集まって過ごす場所だったんです。
父は大学進学を機に苫小牧を出て、青森、東京、そして今は埼玉に住んでいます。もちろん自分の家もあるし、家族もいます。それでも父は毎年、お正月や夏休み、北海道への出張のたびに「実家に帰る」と口にしていました。何十年もずっと、です。
祖母が亡くなって、しばらくしてから、家を取り壊すことになりました。そして更地になった後、父はぽつりとこう言ったんです。
埼玉に自分の家があるのに、「帰る」とはどういうことなんだろう。しばらく、その一言を頭の中で何度も反芻しました。あのときの父の声は、今も胸の奥に残っています。
叔父からは「なんとかならないか」と、何度も言われていた
同じ頃、父の弟──叔父の孝からは、別の言葉を何度も聞いていました。
「なんとかならないか。この家を、残せないか」
解体が決まってから、叔父はそう何度も繰り返しました。「なんとか」というのが具体的に何を指すのか、本人もたぶんはっきりとは分かっていなかったと思うんです。建物を残すのは現実的に無理だということも、一番わかっていたのは叔父自身だったはずです。それでも、そう口に出さずにいられなかった。
父の「なくなった」と、叔父の「なんとかならないか」。別々の言葉のようでいて、根っこは同じだと僕は思っています。三兄弟が育った場所が、二度と戻れない場所になる──その事実を、それぞれが、それぞれの形で抱えていたんです。
誰もいなくなった家で、父が昔話を始めた夜
祖母が施設に入って、家に誰もいなくなった時期がありました。その空の家に家族で集まって、一晩泊まったことがあったんです。
その夜、父が昔の話を始めたんですね。それまで父から、子供の頃の話をそんなふうに聞いたことは、ほとんどありませんでした。
「この家の前で、だるまさんが転んだ、をやったんだ。あそこの電柱に立って、数えてたんだよ」
電柱、近所の友達、家の角、雪の積もり方、台所の匂い。一つひとつの景色を、父は思い出すように、確かめるように話していました。
父はたぶん、この家がもうすぐなくなることを、意識し始めていたんだと思います。自分の中にある記憶を、誰かに渡しておきたかったのかもしれません。まだ家があるうちに。自分が覚えているうちに。あの夜の父の声を、僕は忘れたことがないです。
「帰る」とは、体の移動じゃないんです
父にもう一つの家があるのに、なぜ苫小牧を「帰る」と呼び続けていたのか。ずっと考えて、僕なりの答えにたどり着きました。
「帰る」というのは、体が移動することじゃないんです。心が、元の場所に戻ることなんだと思っています。
自分が生まれ育った場所。両親がいた場所。兄弟と遊んだ場所。自分という人間の形が、ゆっくり作られていった場所。そこに戻ることを、人は「帰る」と呼ぶ。体は離れていても、心だけは戻れる。その「戻り先」があることが、人には必要なんです。
だから、帰る場所を失うということは、体の帰り場所を失うだけじゃありません。心の帰り場所を失うということです。父の「なくなった」という一言が重かったのは、たぶん、そういうことでした。
寂しさの正体は、幸せな時間が消えてしまう気がすること
実家がなくなるとき、多くの人が「寂しい」と言います。でも、その寂しさがどこから来ているのかは、なかなか言葉にしにくいものですよね。
僕はこう思っています。寂しさの正体は、そこで過ごした幸せな時間が、ぜんぶ消えてしまうような気がすることです。
家というのは、ただの建物じゃありません。親戚が集まった場所。子どもがだるまさんが転んだをやった場所。おばあちゃんが台所に立っていた場所。お父さんやお母さんが、若かった頃の場所。いろんな人の時間が積み重なっていた「接点」なんです。
その接点が消えると、みんなとのつながりまでどこか遠くなるような気がする。だから寂しい。
でも、幸せだった時間そのものが、本当に消えるわけじゃないんです。消えていなければ、思い出せる。思い出せれば、また何度でも、そこに戻れる。
父は、VRを見たあと、自分から動き始めた
僕らが父にVR──あの家を歩ける形で残したものを見せたとき、父の第一声はこうでした。
「まるで、そこにいるみたいだ。自分が、帰ってきたような気がする」
そのあと父は、誰にも頼まれていないのに、自分から動き始めたんです。家の歴史を文章に綴って送ってきました。青森から炭鉱夫として北海道に渡ってきた先祖の話。貧しかったけれど、親戚が集まって助け合ってきた歴史。書きながら、いろんなことを思い出した、とても良い時間だった、と。
そして年表、家系図、先祖の写真──父は次々とコンテンツを送ってきました。誤字や年齢の間違いを見つけては「ここを直してくれ」と連絡が来る。それは、いつの間にか父にとっての「作品」になっていました。
更地になったあとも、父は、あの家にもう一度戻っているんです。
「残す」という選択肢を、知らないままにしないでほしい
僕が空間記録の仕事をやっているのは、父のあの一言がきっかけです。
でも、それ以上に大きな理由があります。それは、知らないという一事で、選択肢を奪われてしまう人が、あまりにも多いからです。
知らなかったから選ばなかった、のと、知っていて選ばなかったは、まったく違います。残すという選択肢があることを知らないまま解体してしまって、更地になってから「あの家の台所、もう一度だけ見たかった」と気づいても、もう戻りません。
僕は、この記事を読んでくださっているあなたに、ただ「選べる」状態になってほしいんです。残すか、残さないかは、そのあと決めればいい。でも「知らなかった」で終わってほしくない。それだけは、強く思っています。
同じ気持ちを抱えている、あなたへ
いま、実家の解体が決まっている人。親が施設に入って、あの家に誰もいなくなった人。空き家のまま何年も経って、そろそろ決断しないといけない人。
自分の中の何かが、ざらっと引っかかっていませんか。うまく言葉にできないけれど、「このままでいいんだろうか」という気持ちが、どこかにありませんか。
その感覚は、たぶん正しいです。僕の父も、叔父も、同じ気持ちを、それぞれの言葉で口にしていました。「なくなった」「なんとかならないか」──その裏側には、同じ重さがあったんです。
建物を残すのは、ほとんどの場合むずかしいです。でも、あの空間を、歩ける形のまま残す方法はあります。解体の日が決まっていても、工事が始まる前であれば、まだ間に合います。
「帰るところ」は、かたちを変えて、残せます。
まずは、話を聞くだけで構いません。無理に契約する必要はありません。「撮っておいたほうがいい気がする」という、その感覚のままで相談してもらって大丈夫です。
株式会社Leoline代表 畠山 琢

