帰る実家がない|その感覚と向き合うには
結論:「帰る実家がない」は1つではなく、3つの感覚が重なっています
「帰る実家がない」と一言で言っても、その中身は単一の寂しさではありません。物理的な拠点の喪失、自分という人間の根の揺らぎ、親世代との連続性の断絶。少なくとも3つの異なる喪失が、同時に押し寄せて混ざり合っています。
この3つを分けて理解すると、自分が今なぜモヤモヤしているのかに名前がついて、対処の選択肢が出てきます。
感覚①:物理的な「拠点」の喪失
1つ目は、文字どおり身を寄せる場所が物理的に消えたことへの喪失です。長く帰っていなくても、「あの家がある」と知っているだけで心の支えになっていた。それがなくなった事実は、想像していたより重く感じられます。
「帰っていなかった」のに寂しい理由
実家にほとんど帰省していなかった方ほど、解体後にこの感覚を強く覚えるケースがあります。これは矛盾ではなく、「いつでも帰れる」と思える選択肢があるかないかの違いです。選択肢が消えたとき、初めて自分にとっての家の意味が見えてくる、という構造です。
感覚②:自分の「根」が揺らぐ感覚
2つ目は、自分が形作られた場所が消えたことで、自己同一性に静かなひびが入る感覚です。「自分はどこの人間なのか」「どこに属しているのか」という、普段意識しないところに揺れが起きます。
引っ越しや結婚後でも揺れるのはなぜか
すでに自分の家を持ち、家庭を築いていても、実家がなくなることでこの感覚は起きます。今住んでいる場所が「現在地」だとすると、実家は「自分が来た場所」です。来た場所が消えると、現在地そのものの安定感も少し揺らぎます。これは弱さではなく、人間が持つ自然な構造です。
感覚③:親世代との「連続性」の断絶
3つ目は、親や祖父母とつながっていた糸が、家という形を失ったことで宙に浮く感覚です。亡き親のいた家、祖父母が暮らしていた家。そこに帰ることで保たれていた家族の連続性が、解体や売却で物理的な土台を失います。
仏壇やお墓では埋まらない部分
「親と会いに行く場所」としては仏壇やお墓があります。けれど、家には別の役割があります。親が生きていた日常の空気を呼び戻せる装置として機能していたのが家でした。お参りでは届かない部分の喪失が、ここで起きています。
3つの感覚と向き合う3つのアプローチ
無理に「乗り越える」必要はありません。それぞれの感覚に対応する向き合い方が3つあります。
- 「帰る場所」を再定義する──物理的な実家ではなく、家族が集まる場所、好きなカフェ、自分が育った町の特定の道。新しい意味での「帰る場所」を意識的に1つ持つだけで、感覚①の重さが少し変わります。
- 親族とのつながりを別の形で続ける──兄弟姉妹、いとこ、親戚と意識的に連絡を取り続ける。家を介していた関係性を、人と人の直接の関係に置き換えていくことで、感覚③の断絶感が和らぎます。
- 物理に頼らない「記憶の置き場」を持つ──写真、動画、VR空間記録、家族で書き残す思い出のノート。形を変えて家を残しておくことで、感覚②の根の揺らぎが落ち着きます。「いつでも見にいける」という感覚が安定剤になります。
このテーマをもっと深く理解したい方は、思い出の場所がなくなるとき、人の心に何が起きるか(教科書)に、心の動きが3つの層で詳しく整理されています。「帰る実家がない」感覚の輪郭を掴む手がかりになります。
まとめ:「帰る実家がない」感覚は、名前をつけると扱いやすくなる
「帰る実家がない」感覚は、物理・自分・親世代の3つの喪失が重なった状態です。感覚に名前をつけ、向き合い方を1つだけ選ぶ。それだけで、漠然としたモヤモヤが少しずつ整理されていきます。すぐに消える感覚ではありませんが、扱える感覚にはなります。
ハウストーリーは、株式会社Leolineが運営する、実家じまいや解体前のVR空間記録に関する情報メディアです。「壊す」の前に「残す」という選択肢があることを、一人でも多くの方に届けたくて続けています。
監修:畠山 琢(株式会社Leoline 代表取締役)/制作:ハウストーリー編集部